人とのつながり、支え合える関係性は、どんなときに大切になるのか?を考えてみた

こんにちは、澤田です。
私が20代独身の時は、暮らしの上で支え合えるつながりが必要だと言われてもピンとこなかったのですが、子育てを初めて世の中を見る目が大きく変わってきました。それを詳しく書こうと思います。

私にとって変わり始めたきっかけは、子供が生まれてからです。
子供が生まれてすぐ、妻が子供にかかりっきりになる期間が必然的に生まれ、その期間は家事はろくにできません。
どちらかの親が手伝いに来てくれたら良いのですが、それができない場合は本当に大変になります。私たちの家庭では親が来てくれたことに加えて、保育士の友達がいたため気軽に手伝いに来てくれたから乗り越えられました。

そこから子供がハイハイをして、さらに歩けるようになったら、目を離したすきに何をしでかすかわからないため、ずっと見守る必要も出てきます。夫婦で交互にというのができたら良いのですが、それがうまくできない場合には家庭内の人間関係がギクシャクします。一人だけで楽しめる趣味をやめる家庭もあると聞きます。気晴らしに自分の趣味や、夫婦二人の時間を楽しもうとすると、子守してくれる人がいない場合には、公共施設の保育所などに預けることになりますが、当然お金がかかります

さらに、子供が大きくなってきたり、もしくはいち早く共働きに戻したい家計の場合は、保育園へ入れたくなると思いますが、近隣のつながりが少ないと保育園の情報を集めるのも苦労します

次に、小学校に子供が上がる前から、地域の治安や車の交通量が多い道路などが非常に気になり出します。なんせ、自分の子供が一人もしくは友達同士で地域を歩くことになるので。また、治安が悪いと心配が募ります。治安は、町内会などの自治体活動がうまく行っているところほど治安が良いという話もあります。例えば町内会に近隣の方が多く参加してくれ、「まち」に対する興味が高い方が多いのなら、そのみんなが常にまちの動きを見てくれています。そういうたくさんの方に見守られる地域では犯罪は起こしにくいですよね。では、自分の住むエリアの自治活動はどうなんだ?と、これまで興味の薄かったのが一変して気になり出します。もし、その際に自治体が機能していればいいのですが、そうでない場合は、どうしたら良いのでしょう。

それ以外にも、自分が高齢者になって、住んでいるところから遠くに行かなくなった場合に、より「まち」と共に暮らします。その中で、話せる友達、気軽にいけるお店がなかったら、家から出ないことも多いかもしれません。この辺りはまだ私はリアリティが薄いのですが、社会課題的には、極端に悲しいことならば「孤独死」につながるといわれます。

まだ、私が知っていない事柄も多いと思いますが、一部を挙げてみました。
今、友達以上に深い支え合える関係性にそこまで興味がない時に無理にと言っても苦しいだけと思いますが、こうした事実がゆくゆく待っているということを知るだけでも、心の準備や、興味の湧くところから少しずつ準備しようという気持ちになるかもしれません。

歳を重ね、家庭環境も変化する中で、幸せな暮らしを送りやすい状況を作るためにも、どんな時でも支え合えるくらいの絆の太い人とつながりを持てたら、かなり負担が変わると思います。